自分の記憶の曖昧さ、あやふやさをもどかしく思うことはありませんか?
自分の表現力の乏しさが情けなくなることはありませんか?
例えば、映画や読書で涙したシーンやセリフ。
あんなに感動したはずなのに、少し経つと記憶が薄れていたり、シチュエーションを思い出せない。
他の誰かに感動を共有したいのに、気持ちをうまく言語化できない、伝えられない。大人になって社会経験や語彙も増えているはずなのに、思い出せない、表現できない。
私は今、まさにこんな状態に陥っていますが、よくないと思いつつそのまま放置して現在に至っています。
しかし、年齢とともに記憶の上書き速度が早まっているように思え、この状態は由々しき事態ではないか?あまりにも不甲斐なさすぎないか?と焦りを感じ始め。。。
ついにこの状況を脱しよう!と決意し、記録を残せる、感動や想いを言語化できるブログを始めることにしました。
今回は決意表明の意も込めて、ブログの目的を残してしておこうと思います。
忘れてしまう日常の気づきを記録する
日常生活の中で、ふと心に浮かぶちょっとした気づきや感動は、意識しないとすぐに忘れてしまいます。
そのうえ、年齢を重ねるにつれて仕事や家事の忙しさは増し、まるで日々が加速しているかのように、記憶は日々の出来事にどんどん上書き消去されています。
そんな慌ただしい日々の中、大切な感情や思考を私はそのまま見過ごしてきてしまいました。自分にとって大事だと思ったはずのことも、おそらくたくさん忘れていると思います。
それを防ぐために、大事なものを振り返りができるように、アウトプットできる場が必要だと感じました。
SNSでも良いのかもしれませんが、適度にボリューム感のある文章を作成でき、より自分の思いを細かに残せるブログを選びました。
アウトプットによる記憶の定着
アウトプットは記憶の定着を促す効果があるとされていますが、私の場合、アウトプットまで手が回らず、インプットばかりが積み重なっているような状態です。そもそも知識の積み重ねにもなっていないこの状況はインプットと言えるのかすら、疑問です。
このままではいけないと、自分の経験や学びを記録する場所が欲しいと思い、この場でアウトプットをしていこうと思います。感じたことや学んだことを言葉にすることで、曖昧だった考えを整理し、より深く理解できるようになるのでは、という期待を込めています。
そして、ブログに文章として残すことで、日々の出来事や思考は形となって蓄積されるはず。それが私の知識や経験の積み重ねになるように、マイペースにでも続けたいと思います。
感動したものを言葉で具現化したい
日常的に文章を書く、という生活から離れていると、いざ表現したいと思っても言葉選びが難しく、文章の作成もできません。感動したものや心を動かされたものを他の誰かに伝えたいと思っても、私から出てくるのは陳腐な言葉ばかり。作品の素晴らしさや自分が感じた素晴らしさの100分の1も伝えられていません。
美しい景色や心に響いた映画、音楽、本など、何かを通じて感じた感動を自分の言葉で表現することで、他の誰かとその感動を共有したいという気持ちは強いのに、具現化することは、とても難しい。
今後は文章を書くことを日常化し、伝える練習にしたいと思っています。
そして、私が感じたものが少しでも誰かの心に届けば、それはとても素敵なことだと思います。
それから、自分の感動を言葉で具現化することで、自分自身の知識や記憶の蓄積に繋げたいと思っています。
自分の成長をアーカイブするため
ブログは私自身の考え方や思考の変化をアーカイブするためのツールとしても役立つと期待しています。
時間が経つにつれて、人は自然と変わっていきます。過去の自分がどのように考えていたのか、何に興味を持っていたのかを振り返ることで、今の自分との違いや成長を感じられたら良いなと思います。
そのプロセスを記録として残していくことで、自分の成長を実感し、次のステップへ進むヒントを得られるのではないかと期待しています。
終わりに
ブログは、ただの情報発信の手段ではなく、私自身の内面を整理し、成長を見つめ直す大切な場所にしたいと思っています。
また、自分自身の思考の変化を見つめ直すための場所にしようと思っています。
アウトプットを通じて記憶を定着させることや、感動を言葉にして共有する喜びを感じたい。自分の成長を実感したい。
そんな欲求や目的を、ブログを通して達成していけられたらと思います。